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東日本大震災直後のベトナム寺法要

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※この記事は別ブログに2014年06月03日に投稿した記事の改訂版です。

3・11の震災の直後の2011年5月、僕が在日ベトナム仏教寺院の灌仏会(花祭)にお邪魔した時の事です。 そこには仏旗と共に、日本に住むベトナム人達がお金を出し合い作った、日本の復興を願う横断幕が掲げられていました。


 お寺では、住職の尼僧さまが信徒の皆さんにベトナム語で話す説法されてましたが、その中に所々被災地の地名があるのが聞いて取れます。 灌仏会の法要は、同時に震災で亡くなられた方々への供養でもありました。




また法要の後も、寺の被災地支援の義援金に皆さん快く応じておられました。


彼らだって外国での生活で楽ではないはずなのに。日本人として感謝の気持ちで一杯です。
そして人もまばらになり、会もおひらきという頃。 さきほどの住職が仏前に伏し、一人読教されている事に気付きました。 その祈りは途絶えることなく、1時間以上続きました。 僕はこの光景を一生忘れません。


僕は、自分ん家の菩提寺の本尊すら拝んだ事のない不心得者ですが、これには思わず心から合掌してしまいました。 しかし、在日ベトナム人が異邦人である僕らのためにここまでしてくれているのに、それを伝えるテレビも記者もいません。 この日、ここに来ていた日本人は僕を含め4・5人だけです。この事実をほとんどの日本人が知らないのが申し訳ないくらいです。 さらに聞いたところによると、こちらの住職さまは後日ベトナム本土から集団で来日した僧侶グループと共に津波の被災地に赴き、現地で百か日法要を執り行われたそうです。 なんて有り難いんだろう。 ベトナムの皆さと関ってると、こういう感動が何度もあったので、僕にとってベトナムは趣味を超えたライフワークになってます。

お台場ハンガーストライキ

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知り合いの在日ベトナム人から紹介され、2017年7月1日から2日にかけて東京お台場海浜公園で行われた、ベトナムにおける海洋汚染・人権問題に抗議するハンガーストライキに、私も土曜日だけ参加させて頂きました。
デモを主催する『青い海 for ベトナム (Biển xanh cho Việt Nam)』は、日本で生活するベトナム人の方々が結成したグループであり、故郷ベトナムで大変な苦難、特に昨年からベトナム史上最悪の環境破壊・公害問題へと発展しているフォルモサ問題の渦中にいる人々の救済を目指すと共に、ここ日本でもベトナムの社会問題に目を向けてもらえるよう、デモ活動を行っておられます。
また今回は、直前の6月29日に、フォルモサを含むベトナムの人権問題について意見を発していたブロガー『マザー・マッシュルーム(Mẹ Nấm)』ことグエン・ゴック・ニュー・クインさんが、禁錮10年という厳しすぎる判決を受けた事についても、ベトナム政府の対応を非難し、彼女の解放を訴えました。
今回参加されたベトナム人の皆さんのほとんどは東京近郊で生活されている方々でしたが、中には大阪から新幹線でいらっしゃった方も居り、外国でなにかと不自由な生活をしながらも祖国の問題に真剣に取り組む皆さんに心を打たれました。






 写真: Biển xanh cho Việt Nam
写真: Biển xanh cho Việt Nam ▲最初私は取材だけのつもりだったのですが、日本語でプラカード書いてと頼まれたので引き受けていたら、いつの間にか私もデモ参加者の一人になっていました。左の方はイギリス出身で、ベトナム人の奥さんと一緒に参加されていました。


最後まで皆さんとご一緒出来たらよかったのですが、私は次の日、朝から仕事が入っていたので、夜9時で帰宅する事となりました。他の参加者の皆さんは、そのまま海浜公園で一晩中断食を続けながら一夜を過ごされました。
そして翌日の日曜は日本に住むベトナム人が数百人集結し、カトリック麹町聖イグナチオ教会にて大規模な抗議集会が開催されました。


こちらも取材に行けたらよかったのですが、スケジュールの調整がつかなかったので、またの機会に伺いたいと思います。 デモに参加された皆さん、お疲れさまでした。暖かく迎え入れて頂き、本当にありがとうございました。 これからも皆さんを応援していきます!

近年最悪の言論弾圧: 人権ブロガーに禁錮10年

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ベトナムで暮らす2児の母グエン・ゴック・ニュー・クイン(Nguyễn Ngọc Như Quỳnh)さんは、『マザー・マッシュルーム(Mẹ Nấm)』の名で知られる社会派ブロガーとして、これまで言論の自由や政府の横暴、人権問題・環境問題など数々の社会問題に問題提起、意見表明を続けてきました。
グエン・ゴック・ニュー・クイン氏は2010年、表現の自由を擁護する執筆家として、ヒューマン・ライツ・ウォッチからヘルマン・ハメット賞を受け取っている。2015年には、Civil Rights Defendersの2015年度市民権擁護者賞を受賞。2017年3月には米国務省から「世界の勇気ある女性賞」も受け取った。 引用: ヒューマン・ライツ・ウォッチ
しかしベトナム政府は昨年より法律を改正して平和的な手段で活動するブロガー、民主化活動家への弾圧をより一層強化しています。その中でクインさんは、度々警察による活動の妨害や暴漢の襲撃に晒されてきましたが、ついに2016年10月にベトナム社会主義共和国刑法第88条「反国家宣伝」の容疑で逮捕・訴追されます。そしてカインホア省人民裁判所は2017年6月29日、クインさんに禁錮10年の有罪判決を下しました。

写真: Báo VietNamNet (2017年6月29日)
これまで数々の活動家・ブロガーが『反国家的活動』として不当に逮捕・投獄されてきましたが、この判決は近年で最も厳しいものであり、これは明らかに、知名度の高いクインさんを社会的に抹殺する事で民主派運動を圧殺しようとするベトナム共産党政府による残忍な弾圧に他なりません。
また現地では、クインさんは拘留期間中、警察から替えの下着や生理用品を与えられない等、精神的苦痛を与える拷問にさらされているとも伝えられています。
また二人の幼いお子さんを残し投獄されるクインさんとそのご家族の無念を思うと、言葉に詰まります。

私は政府による卑劣な弾圧に立ち向かったクインさんの勇気を心から尊敬すると共に、クインさんを始め現在も投獄中の『良心の囚人』たちがすぐに釈放される事を願ってやみません。


ヒューマン・ライツ・ウォッチ - ベトナム:ブロガー「マザーマッシュルーム」の釈放を
https://www.hrw.org/ja/news/2017/06/28/306036

CNN.co.jp - ベトナム…

フォルモサ海洋汚染問題

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2016年、ベトナムでは、200km以上に渡るベトナム中部沿岸部の広い範囲に深刻な海洋汚染が発生し、周辺の魚類が大量死して海岸に打ち上げられると共に、漁業者の生活や、そこで獲れた魚介類を食べる住民の健康が現在も脅かされています。


動画: Tin Mới Nhất / 2016年4月28日
この汚染は当初から、ベトナム中部ハティン省にベトナム政府が誘致した台湾系化学メーカー『フォルモサ(FORMOSA)』の製鉄工場が有害物質を含んだ排水を海に大量に投棄した為に発生したと国内外から指摘されており、ベトナム全土で政府とフォルモサへの大規模な抗議デモが繰り返し行われました。しかしベトナム政府は海洋汚染とフォルモサとの関係を因果否定し、警察はデモ参加の鎮圧を行いました。


動画: SBTNOfficial / 2016年5月1日
この数か月後、国内外からの強い批判を受けてフォルモサ側は一転して汚染の責任を認めてベトナム国民に謝罪し、ベトナム政府に対し賠償金5億ドル(約510億円)を支払う事を発表します。ところがベトナム政府はフォルモサから賠償金を受け取るものの、実際に被害を受けた住民の救済に当てられた額はごく僅かであり、まだ一切受け取れていない住民も大勢います。
それどころか、ベトナム政府はさらに新たなフォルモサの製鉄施設を建設するため、汚染の被害を受けていたハティン省ドンイェン村の住民に立ち退きを命じます。村の土地のほとんどは政府に強制的に接収され、まだ人が住んでいる家々が次々と取り壊されました。フォルモサからベトナム政府に渡った5億ドルは、実際には賠償金などではなく、住民を立ち退かせ開発を続けるための賄賂でした。
今もベトナム共産党政府は、国民の困窮、国土の汚染を尻目に、『開発』という名目の利権獲得に血眼になっています。

詳しくはこちらを参照
東洋経済オンライン - ベトナム最悪の海洋汚染、意外な「その後」
http://toyokeizai.net/articles/-/178075

東洋経済オンライン - ベトナム原発計画中止で無視される「民意」
http://toyokeizai.net/articles/-/178076?page=5

デガの声

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※この記事は別ブログに2017年5月27日に投稿した記事の改訂版です。

 私の友人の一人、イールル・ブオニャ(Y-Lhul Buonya)氏はデガ(ラーデ族)で、現ベトナム政府による弾圧から逃れ難民としてアメリカに移住した方(現・アメリカ国籍)です。
 日本人がデガに興味があるというのがよほど珍しかったようで、イールル氏は快く、僕にデガの間で語り継がれているベトナム戦争時代の話や第二次大戦中の日本軍とデガの関係など、いろいろな事を教えてくれました。
 また、イールル氏はアメリカ移住前からデガ運動(デガ民族自決運動)に参加しており、現在も米国でデガ難民への支援活動をされている方でした。僕は2000年代に、中部高原**でデガによる大規模なデモが2回発生しているところまでは把握していましたが、イールル氏はまさにそのデモに参加したためにベトナム政府に追われ難民となったのだそうです。


『デガ(Dega / Degar)』とはラーデ語で『森の人』を意味し、ジャライ族、ラーデ族、バナール族、ムノン族などのインドシナ半島中部高原に住む山岳民族の総称であり、同時に彼らの自称でもあります。またデガはかつてフランス領時代にフランス人から『(南インドシナ)モンタニャール』と、ベトナム戦争時代にはアメリカ軍から『ヤード』とも呼ばれていました。

※※
19世紀はじめに順城鎮(チャンパ王国パーンドゥランガ王朝)が大南国(阮朝ベトナム)に併合されて以来、中部高原はベトナムの領土とされていますが、その後インドシナ諸国がフランスに征服されると、中部高原は大南国から切り離されてインドシナ植民地政府の直接管理下におかれ、1946年にはフランスによってデガの自治領『南インドシナ・モンタニャール国』まで設定されました。また1960年代にはFULROによる自治が行われるなど、中部高原は長らくベトナム人の支配が及ばない土地でした。つまり中部高原にベトナム人が大量移住し実質的にベトナム人国家の支配下となったのはここ40年余りの事で、現在でもデガ民族主義はベトナム人による中部高原の支配に抵抗しています。

▲2004年4月10日の中部高原デモ(タイグエン暴動) ベトナム政府側はこの暴動を、国外の反動勢力に扇動された一部の過激派による破壊活動だと報道し、そもそも中部高原に民族問題は存在しないとしています。

 この7…

バチュク祠墓 (Nhà Mồ Ba Chúc)

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※この記事は別ブログに2016年8月18日に投稿した記事の改訂版です。



 ベトナム戦争終結後の1978年、かねてよりベトナムと領土・民族問題で対立してきたカンボジア(ポル・ポト政権)がベトナムに軍事侵攻した際、国境から3kmほどの位置にあったバチュク村のベトナム人住民3000人以上がカンボジア兵に殺害されるバチュク村虐殺事件が発生しました。ここは、その時の犠牲者の遺骨を安置・供養する祠墓です。
 このバチュク村の事件はベトナム国民に、カンボジアへの非常に強い敵愾心を抱かせ、現在でも祠墓の隣にはカンボジア兵がいかに残虐な行為に及んだかを展示した資料館が併設されています。一緒に参拝した私の友人も、ベトナム人としてポル・ポト派への憎しみを露わにしていました。
 確かに、こうして大量の遺骨を前にすると言葉に詰まるものがあります。しかし私はベトナム人ではないので、外国人として、一歩引いた目線で見る必要があると感じました。
 カンボジア軍の侵攻後、ベトナム人民軍は報復としてカンボジア領に侵攻し、カンボジア・ベトナム戦争に発展。ベトナム軍はプノンペンを占領し、カンボジアに殺戮の嵐をもたらしたポル・ポト政権を崩壊させますが、ベトナムが擁立した新政権(ヘン・サムリン政権)を拒絶するカンボジアの反ベトナム三派は新政府とカンボジア駐留ベトナム軍を攻撃し、カンボジアは再び長い内戦の時代を迎えます。
 一見ベトナムは正当防衛を行ったかのように見えますが、中越戦争に至った中国との緊張を背景に、カンボジア・ベトナム戦争終結後もベトナム人民軍がカンボジアに駐留し、カンボジアに干渉し続けたが為にカンボジア内戦が長期化した事は周知のとおりです。その間のカンボジア国民の犠牲者数は、バチュク村の比ではありません。この事件は結果的に、カンボジアに干渉する口実を欲していたベトナム共産党政府にとって願ってもない宣伝材料となり、だからこそ今こうして立派なモニュメントが建設されている訳です。
 一方で、現政府にとって不都合な事件、例えば1954年にホー・チ・ミン政権が自国領内の地主階級を1万人以上処刑した大粛清や、10年以上続いたベトコンによる一般市民へのテロ・虐殺などについては、犠牲者を追悼するどころか、全て無かった事にされています。この国では、歴史は政府の都合で決まるのです。
 それを踏まえた上で、私は同じ人…

ビエンホア国軍墓地

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※この記事は別ブログに2016年8月9日に投稿した記事の改訂版です。

 先月、10日間ほどベトナムを訪問してきました。
 ベトナムでは、友人(ベトナム系アメリカ人)の親戚の家にホームステイさせてもらっていたのですが、私が帰国した後も彼は2週間ほどベトナムに残っていたので、彼がアメリカに帰国するまでは安全のため、我々がどこに行っていたのかインターネットには書かないという約束でした。
 その友人が先日、無事アメリカに帰国したので、これから私たちが訪れた場所を紹介していきます。

 まず、実際に訪れて最も強い衝撃を受けたのが、ビエンホア国軍墓地 (Nghĩa Trang Quân Đội Biên Hòa)でした。
 ビエンホア国軍墓地とは、1961年に着工、1967年に完成したベトナム共和国の軍人(および司法・行政関係戦没者)墓地で、125ヘクタールの広大な敷地に最大30,000基の棺を埋葬できるベトナム最大の国立墓地でした。
 このビエンホア国軍墓地には、ピーク時の1968年(テト攻勢)、1972年(イースター攻勢)に合わせて10,000名もの殉職者が埋葬され、1975年の終戦までに計18,318基のお墓が建立されました。

▲1975年以前のビエンホア国軍墓地
墓地の正面にはビエンホア墓地のシンボルである銅像『追悼像(Thương tiếc)』、小高い丘の上には霊廟『死士殿(Tử Sĩ)』、墓地の中心には高さ43mのコンクリート塔『義勇塔(Nghĩa Dũng )』が建立された。


ここを訪れて弔意を捧げる事は、今は無きベトナム共和国という国に少なからぬ縁を持った私にとって人生の夢でしたが、同時に非常に危険を伴う困難な目標でもありました。
 なぜならベトナム社会主義共和国は1954年以来、60年間以上に渡ってベトナム共産党による一党独裁体制な訳ですが、彼らが国内の求心力を維持し、自分たちの独裁体制を維持し続けるために掲げられる大義名分は、かつて『フランス・米帝とその傀儡から人民を解放した』という過去の功績しかありません。そしてその為にベトナム共産党は、自分たちが打倒したベトナム共和国という体制を徹底的に悪の権化と宣伝し、1975年以前の南ベトナムに存在したありとあらゆる価値観を、音楽や芸術に至るまで破壊しつくしてきました。そして現在でも、国民が政府を批判する事は許されず…

東京めぐり

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※この記事は別ブログに2016年6月13日に投稿した記事の改訂版です。

先週末は在日ベトナム人の友人たちと都内各所をめぐってきました。
【ベトナムフェスティバル2016】
お祭りは例年通り大盛況。暑かった~
昼飯は久しぶりのバインミー。去年カリフォルニア行った時は、一日二食はこれ食べてたなぁ。朝リトルサイゴンでバインミー買って、ハリウッドのユニバーサルスタジオに持ち込んで中で食べたり。なお夕飯は主に、アナハイムのスーパーで買ったカップラーメンという貧乏旅行っぷりでした。

しかし、山岳民族の子供たちへの生活支援を呼びかけるブースに掲げられた逆さ吊りの金星紅旗にはドキッっとしました。このイベントは完全に越共政府系だし、しかもブースは運営本部の隣のテントです。なぜ誰も指摘しないんだ? ブースに居た人たちがキン族なのか少数民族なのか見た目では分かりませんでしたが、あの旗を掲げる政府が少数民族に対し何をしてきたかを考えると、何らかの意図がある行動なのではと勘ぐってしまいます。ナチスが自国のゲットーを紹介しているようなものなので。
【原宿 竹下通り・表参道】
実はメコンデルタ生まれのS君が仕事の都合で近々東京を離れるそうなので、せっかくなのでベトナムフェスティバルの会場である代々木公園から歩いて竹下通りと表参道を見学。 フッ、俺のような埼玉生まれアニソン育ちには、ベトナムより遠い異国に感じるぜ・・・

【江戸東京博物館】
原宿の後は僕のお勧め、両国の江戸東京博物館へ移動。 ここは街のミニチュアが見応えあるし、江戸~昭和の建物が1/1で再現されていたりで超面白いです! 模型で展示されていた御茶ノ水のニコライ堂はまだ同じ場所にあるよと言うと、S君がぜひ行ってみたいと言うので、翌日行くことにしました。

【日高屋】
夕飯は寿司にしようという話になり、スマホで検索するも、都内は回転寿司でもまぁまぁ高い店ばかり。一皿100円が見つからない。 仕方ないので、ラーメン・中華料理の日高屋に入る。うん、俺たちはこういう所が合ってるんだよ。安いし煙草も吸えるし最高だね。 ちなみにS君は日高屋のヘビーユーザーなので、ありがたく大盛り無料券を頂戴する。いろいろ喋くってこの日は解散。


日曜日
【東京国立博物館】

朝10時、S君と上野公園で集合。彼のたっての希望で東京国立博物館を見学する。 彼はなかなかの…

ベトナムで大雪...

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※この記事は別ブログに2016年01月26日に投稿した記事の改訂版です。

東アジア全域を襲っているこの異常な寒波は、日本でもニュースになっていますが、
一昨日にはハノイに住んでる友達からこんな写真が送られてきました。

2016年1月24日ハノイ市内

さらにハノイより200kmほど南に位置するゲアン省もこんな状態。



最低気温-4℃って、ウチより寒いじゃん。。。

ベトナムでは過去にも、2013年に中国国境に面するライカオ省サパで雪が降り、その地域の農業に深刻なダメージを与えたそうですが、今回のはそれを大きく上回る異常気象ですね。
『ベトナム北部に降り続ける「異常な降雪」での被害が拡大』 地球の記録
http://119110.seesaa.net/article/383540111.html

『Sa Pa snowfall damages farms』 Viet Nam News
http://vietnamnews.vn/society/249033/sa-pa-snowfall-damages-farms.html

一方、ベトナム国内では、積雪を珍しがって見物に来る人が大勢いるそうで、当局は交通事故等を警戒し、降雪地域での『観光目的』での移動を4週間禁止にしたそうです。
Những lưu ý khi du lịch vùng băng tuyết - VTC News
http://vtc.vn/nhung-luu-y-khi-du-lich-vung-bang-tuyet.594.592310.htm

普段温暖な台湾では、家庭に暖房器具が無いために、この寒さで高齢者を中心に80名以上が低体温症で亡くなられたそうです。
当然、台湾よりもはるか南に位置するベトナムの一般家庭に暖房なんてまず無いでしょう。まだそういったニュースは伝わってきていませんが、心配です。

グエン・ベト・ズン裁判

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※この記事は別ブログに2015年12月23日に投稿した記事の改訂版です。

去る12月14日、今年4月に逮捕されて以来8ヶ月間も警察署に拘留されていたベトナム民主化運動ブロガーのグエン・ベト・ズン氏に対する裁判が、ハノイ市内のホアンキエム地区人民裁判所で行われました。
 グエン・ベト・ズン氏(ハンドルネーム: ズン・フィー・コ)は、僕と同い年で、1986年にゲアン省イェンタン地区ハウタンの貧しい農家の一人息子として生まれました。彼は子供の頃から聡明、勤勉で、友達思いの少年だったそうです。
 2004年にはゲアン省主席としてハノイ工科大学に入学しましたが、3年生の時に反中国デモに参加したために退学処分となりました。(反中デモは、ベトナム政府の望む時には奨励されるが、そうでない時は取り締まられる)
 その後、ズンは昨年2014年4月30日(サイゴン陥落の日)、旧ベトナム国旗(共産政権以前の伝統的な国旗)を自宅に掲揚したため、そのベトナム民族の旗が他の農民の目に入らないよう、治安部隊に自宅の周囲を封鎖されるという事態となりました。(違法行為ではなく、逮捕はされたが不起訴となった)
 強い人権意識と愛国心を持つズンは2015年4月2日、フェイスブックに民主化運動ページ『共和党(Đảng Cộng Hòa)』を設立。その1週間後の4月9日、仲間と共にハノイ市内で街路樹保護を訴えるデモに参加します。そしてデモ参加4日目の4月12日、ズンは他の4名の仲間と共に突如ホアンキエム警察署に逮捕されました。

【逮捕から現在までの経過】

2015年4月12日、ホアンキエム警察署に逮捕される。本来容疑者の逮捕は直ちに公にされるが、ハノイ警察は逮捕の事実を隠蔽する。(つまり法に則った逮捕ではなく、警察官による拉致に等しい)

4月19日、逮捕から1週間後にハノイ警察がズンの逮捕を公表。罪状はベトナム社会主義共和国刑法第245条に基づく『破壊活動』および『公共秩序騒乱罪』だったとする

4月20日、捜査の結果、違法行為がなかったため、ハノイ警察は刑法第245条の容疑を取り下げる(普通ならこの時点で釈放される)

同日、ハノイ警察は容疑を『精神障害による異常行動』に変更し、釈放せず。以後ズンらは8ヶ月間に渡り拘留され、拷問を含む厳しい取調べが行われる

ハノイ警察は再び『公共秩序騒乱罪』…

良心の囚人

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※この記事は別ブログに2015年06月30日に投稿した記事の改訂版です。

前記事
『グエン・ベト・ズン逮捕』
『ベトナムの若者に聞く その2』
『ベトナムの若者に聞く』

先日、Tさん(サイゴン在住・26歳女性)より新たなお便りを頂きました。
彼女は身の危険を省みず外国人である僕にベトナムの実情を訴えてくれているので、僕は彼女の勇気を尊重し、多くの日本人にこの話を読んで頂きたいので、ここに日本語訳を掲載します。

Tさん:
あなたはベトナムにいなくて本当にラッキーよ。

タイガ:
僕は複雑な気持ちだよ。僕はベトナムが大好きだから、いつか必ずベトナムに行きたい。でも今は出来ないよ。ベトナム共産党に逮捕されるのが怖いから。
ズンの家族が訴えているのを読んだよ。ズンは逮捕から2ヶ月たった今も警察から拷問を受け続けているらしい。海外に住んでいる多くのベトナム移民も同じ気持ちだよ。彼らはそれぞれの国の政治家に対し、ベトナム共産党によるズンの不法逮捕を非難するよう訴えかけているし、僕も日本の人権団体に同じ訴えを行った。僕らはグエン・ベト・ズンの事を決して見捨てない。


グエン・ベト・ズン(Nguyễn Viết Dũng) 民主化運動ブロガー。2015年4月、街路樹保護を訴えるデモの最中に逮捕され、裁判どころか罪状すら確定しないまま2ヶ月以上不法に拘束、拷問を受けている。

Tさん:
そうね、共産党とトラブルになりたくないなら、ベトナムには行かないほうが良いわね。だってあなたは日本に住んでいるから、違法な事を除いて何でも好きなことが出来るだもの。ベトナムではあなたの趣味は違法で、逮捕されちゃうわよ。
あなたはディウ・カイ氏を知ってる?彼は今アメリカに亡命することが出来て、私もほっとしてるわ。レ・コック・クァン氏も、最近ようやく釈放されたのよ。

ディウ・カイ(Điếu Cày) フリージャーナリスト。政府の腐敗を告発するサイトを運営したため2008年に逮捕、2014年に釈放されアメリカに亡命。





レ・コック・クァン(Lê Quốc Quân) 民主化と宗教の自由を訴える弁護士。2007年以来度々逮捕され、釈放後も警察官による脅迫、集団暴行を受け続ける。2014年に4回目の逮捕。2015年6月27日釈放される。





タイガ:
この二人の事は初めて知ったよ。残念ながら、彼らは日本で全く知られていないし、それど…

40年目の4月30日

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※この記事は別ブログに2015年04月30日に投稿した記事の改訂版です。


本日、ベトナム共和国の首都サイゴンが陥落し、ベトナム全土がベトナム共産党の支配下に墜ちた『国恨(Quốc Hận)の日』から40年が経過しました。


終戦40周年に際し、元ベトナム共和国軍ファム・ホア少尉が英国BBCのインタビューに答えています。

BBC Vietnamese 4月24日(4月25日編集)
https://www.facebook.com/BBCVietnamese/videos/1022115214467887/

1975年までベトナム共和国軍コマンド部隊に所属していた元兵士はBBCのインタビューに対し、サイゴン陥落に至った大きな要因として、同盟国の撤退を挙げた。特殊部隊将校ファム・ホア氏は1972年の『燃える夏(イースター攻勢)』から軍務に就いている。
 「あれは私の人生の中で、短くも壮絶な日々でした」
 ホア氏が語ったところによると、1975年4月29日、彼の部隊はフーコック島への移動を命じられたが、それが首都陥落に伴う脱出とは知らなかったという。そして翌4月30日には、避難民は『ほとんどパニック状態』に陥っていたと語る。
 「これから海外でどうやって生きればいいか分からない。言葉も分からない。誰の助けも無い。国が無くなってしまったのだから、国籍すら無くしてしまった。本当に全てを失ったのです。」
 続けてホア氏は語った。
 「私のような若い将校のほとんどは、アメリカからの支援が無くなった事で南ベトナムが滅びるなどとは考えもしませんでした。」
 なぜ南ベトナム軍は北ベトナム軍に敗れたのか?という問いにホア氏は以下のように答えた。
 「今日では、それが同盟国の支援に左右されていた事は誰の目にも明らかです。敵は共産圏、つまり中国、ソビエト、チェコスロバキア、東欧諸国、東ドイツからの支援を受けていました。世界中の共産陣営がアメリカを叩くためにベトナムの戦場に手を伸ばしていたのです。アメリカが撤退した後、ベトナム共和国一国でどうやって全世界の共産国家を相手にできますか?」
 戦争で最も記憶に残っている事は何か尋ねたところ、ホア氏は1974年に自分の部隊と遭遇し、戦死した北ベトナム兵から回収した手紙を読んだ時だと語った。
 「あの兵士は、自分は死ぬと分かっていたから、故郷の母と恋人に…